「健康自慢」のみなさんが、日頃から取り組んでいる健康法や健康づくりの秘訣などを、ご自身の体験をもとに、ご紹介いたします。
独自のユニークなものから簡単に実践できる健康法まで、さっそくみなさんも始めてみてはいかがでしょうか?
みなさんの健康づくりのヒントになれば幸いです。
(これらの「健康づくり体験談」は、令和2年8月3日〜9月30日に募集したものの中から、ご紹介いたしております。)
※取組による効果は、個人の感想です。
〔最優秀賞〕暮らし部門
足りない栄養、ありませんか?
住所:壬生町 荒川 正一様(76歳)
私が健康に気を遣うようになったのは妻を亡くしたのがきっかけでした。当時、子供達はまだ幼く本当に大変な毎日でした。日々の生活をなんとかこなしている状態でしたが、ここで私までもが倒れてしまっては…と思い健康的な食生活にするよう心がけるようになったのです。
食事は自家製の旬の野菜中心。免疫力を上げると言われているヨーグルトやきのこ類などは毎日とるようにしています。そして汁物を作る際には、人参・玉葱・芋・きのこ類・レンコン・豚肉・わかめ…とこれでもかというほど具材をたくさん入れます。さまざまな種類のおかずを作れれば良いのですが中々料理ばかりに時間を使うことができないため、一品の中に少しでも多くの具材を入れるようにして、栄養満点かつ手軽に取り入れるようにしています。自家製というのもとても良いもので、野菜を育て収穫する喜びを味わいながら食事を楽しむことができます。
しかしながら今年。肩の腱板が切れ手術を受けることになってしまいました。その際、筋肉量が足りないことが判明。とにかく野菜を食べているから大丈夫、と無意識に思い込んでいたことにはっとしました。肉などのたんぱく質もしっかりとらなくてはいけないのだと痛感しました。当たり前のように言われていることかもしれませんが、さまざまな食品をバランスよく食べることが大切なのです。
それ以来、肉や乳製品などこれまであまり積極的にとらなかった食品もバランスを考えて食べるようになりました。
だいぶガタがきていますが、妻を亡くして約30年。おかげで妻の分までなんとか元気に過ごすことができています。おもしろいことに、最近4才の孫が、私の影響でしょうか、「これは健康に良いから食べよう。」と言って私の育てた野菜をおいしそうにたくさん食べてくれています。その笑顔が一番の元気の源となっているのかもしれません。
〔優秀賞〕運動部門
わたしの健康づくり
那須塩原市 福地 友子様(75歳)
私は今年の5月で後期高齢者の仲間入りをしました。子供の頃から年に1、2回風邪をひいて熱を出し、寝込むことはあっても今まで大きな病気やケガもせず入院したこともあり
ません。町の定期検診でも指摘事項は無く、そこそこ健康体だと自負しています。
私が高齢者に運動が必要と思ったきっかけは60歳で定年を迎えほっとして3ヶ月が過ぎた頃、日常に張りが無くなり体力気力の落ち込みを感じたことです。
勤めていたころは休日に夫とウォーキングしたり、近場の山に登ったりして適度に運動はしていましたが家でいる時間が増え、筋肉が衰えたのか、登山がきつくなってきたのです。
何かしなければと考えていた矢先、新聞で他市自治体の「スポーツカレッジ講座」の募集記事を見つけ、早速受講しました。年齢男女の区別なく、ストレッチ運動や体を使うゲーム、脳トレなどその道のプロの指導により仲間と共に楽しく体を動かし気持ちの良い汗をかき、脳を刺激され充実した時間でした。中でも高齢者向けの科目が一番興味があり役立ったと思いました。
3年受講して得たことは私達高齢者にとって健康寿命を延ばすことが大切であり、その為に日頃の運動習慣をいかに身に付ける必要があるかということでした。
受講後は資料を見て先生方の指導を思い出しながら自宅でやってみたものの一人では楽しさが感じられず……相談した町内の友人のアドバイスを受け、自治公民館で「高齢者の体操教室」と銘打って呼びかけた処、60過ぎの女性十数人の申し込みがありました。
「自分の健康は自分の手で」をスローガンに転倒による寝たきりの予防としてストレッチ運動を中心に全身の柔軟からスクワットやバランス運動などを組み入れ、1時間、週1回のペースで始めました。
多少きつい運動もメンバーが声掛け合い、励まし合いしながら現在も続いており私の健康維持にとってかけがえのない時間であり生きがいとなっています。
週1回、仲間の元気な顔を見ながら近況、体調などの情報交換のお喋りも楽しく、運動の内容もテレビで見た運動が良かったから取り入れては!?とかメンバーから出たものをメニューに入れたりして、少しずつ進化している気がします。何よりメンバー一人ひとりが運動習慣が身に付き健康を維持しようと常に思うようになったことがこの教室のプラス要因ではないかと。
新型コロナウイルス感染防止の為、3月より活動を休止していますが、1日も早く再開できるよう待ち望んでいます。「継続は力なり」を合言葉に10人の仲間とこれからもずっとこの教室を続け健康長寿を目指していきたいと思います。
〔優秀賞〕暮らし部門
毎日の生活
塩谷町 小野﨑 千鶴子様(82歳)
コロナ禍にあって、生活スタイルも変化し独居老人にとっては自粛によるマイナス面が増えています。雨の日や酷暑日等には訪れる人もないと一日中会話のない日もあり「歌を忘れたカナリヤ」です。
しかし退職後の生活習慣がプラスになっています。起床は5時、先づ新聞に目を通してから、夏期は水分を摂って、何年来、継続している40分のウォーキングに友人と出かけます。
ウォーキング中に常連さんとあいさつをかわし、山々の季節の変化に感動したり、途中で農家から新鮮な野菜をいただいて早起きは三文の得です。
食生活については、世の中で食べられる物で嫌いな品はありません。
三食を家にいる限り定時に食べます。
検診で朝食抜きが私にとってはストレス。
頭で食べると食生活の研修で学んだので栄養バランスを考えて、主食は米が好きなので150g(普通茶わん1杯)、主菜は肉か魚を必ず、副菜は季節の野菜、海そう類等を。乳製品は牛乳、ヨーグルトを。果物は季節の品を。チーズ等も。昼食後にその日摂取しなかった品を夕食の献立に加える等工夫をしています。
30年余り、間食はしていません。独居になってからの習慣になり、お茶菓子類は買い置きしないので、友達は自分達で持参してがわが家のルールになっています。
水分摂取には特に注意しています。起床時にコップ1杯、食事後はお茶、入浴前と入浴後、ねる前に、そして、寝室にペットボトルを持参し、特に夏は居間のテーブルに置いて時間で少量でもが習慣になりました。
昨年9月から6ヵ月間週1回町主催の「脳の健康教室」に参加し、数字盤による脳トレで時間を計り、読み聞かせと漢字の書取り、たし算、引き算の計算でこれもタイムの記入で認証予防と仲間との交流が深まりました。
その後も自宅で継続しているので自粛中の時間を有効活用しています。
しかし、1年前に右が緑内障で失明し、片眼で読み書きする不自由な生活になりましたが地域の人達に助けていただいており感謝の日々で幸せです。
眼科受診すると目をぶつけないように、転倒しないようにと言われています。
私に出来るボランティア活動はさせていただき、地域の人達との交流を大切に地域にあって生活したいと思います。
健康診断の受診で自己管理し、インフルエンザ等の予防接種により感染予防して周囲に迷惑をかけないように生活をしていきたいと思います。
〔優秀賞〕生きがい部門
音楽は健康づくりの妙薬
野木町 中尾 清茂様(75歳)
健康に対する考えは、今に始まったことではなく、不老長寿と言う言葉があるように、今も昔も変わりなく、人は健康長寿に関して深い関心を持っています。
日本人は長い間、「人生五十年」をうたい文句にそれぞれの時代を生き抜いてきました。
近年、日本人の平均寿命は飛躍的に延びて、「人生百年時代の到来」とまで言われるようになりましたが、私の寿命の目標は、これを更に上回る百二十五歳を目標におき、「寿命の限界に挑戦」することを、日々の行動目標として活動しています。
私は今年、後期高齢者と言われる世代にはいりました。町のシルバー人材センターに身を置き地域社会と繋がり、詩吟や水彩画を通じて多くの仲間と関わっています。
私は音楽が大好きであり、誰に教わるでもなく始めた下手なハーモニカや、尺八を吹き、民話を語っては、介護施設やサロン等でボランティア活動を続けてきました。何処の団体に所属することもなく、文字どおりフリーのボランティアとして独り活動を行って十年近くになります。
しかし、新型コロナウイルスの蔓延は、私の些細な楽しみにも影響を与え、今ではこれらの活動全てが途絶えてしまったのです。
私は三年前から、私自身の健康づくりの一環として、子供の頃によく歌った童謡や唱歌、成人してから歌った歌謡曲等を、自作の音階歌集にまとめています。
正直なところ、私は楽譜を読むことはできませんが、私は自分の選んだ歌の全てを音階に置き換え、ドレミの七音階でメロディーを記憶することに取り組んでいます。
音階でメロディーを奏でることができるようになると、次は楽器演奏に繋げるのですが、意外にも音階で曲のメロディーを記憶すると、楽器演奏は難なく可能となります。
今私は、これをキーボードとハーモニカにより同時演奏をすることに挑戦しています。音楽が健康づくりにつながることは実証されており、歌を音階で覚えることは記憶力を高めることにも繋がり、認知症の予防に期待が持てるのではと取り組んでいるのです。
アメリカの詩人、サミュエル・ウルマンの「青春」と言う詩に、「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方をいう…」と言う一節があります。
今一度、青春を味わってみませんか。心の若返りのために、ドレミの七音階でメロディーを奏でることに挑戦してみませんか。新しい世界が見えてくるはずです。
この時期、コロナウイルスへの対処を抜きに、健康づくりを語ることはできません。
「マスク」、「手洗い」、「うがい」、「三密(密閉、密集、密接)を避ける」の基本を実践することが、健康づくりの第一歩ではないでしょうか。
〔佳作〕生きがい部門
カラオケと俳句と
那須烏山市 水野 信一様(79歳)
後期高齢者にとって日々元気に生活することはすべての活動の基本であることは言うまでもない。その為の体力作りや毎日の食事管理、趣味の活動等々、皆さんはおはげみの事と思う。この中から私は「生き甲斐活動」にしぼって活動内容を報告したいと思う。
私の趣味は「歌謡曲」と「俳句」である。
先ず「歌謡曲」。つまり「カラオケ」について私の体験を述べる。カラオケの効果は皆さん御存じの通りである。①腹筋を使って大きく呼吸するので肺機能の強化。②前頭葉の強化。③気分がすっきりして性格が明るくなる。④主要脳機能を鍛えられる。⑤血液の循環が良くなる。⑥ボケ防止になる。⑦各種大会への出場も可能。等々、いい事ずくめであるが、大切なのは「自己満足」に終わってはならないことである。自分の歌を真剣に聴いてくれる相手を見つけることである。最近はコロナ騒ぎでカラオケなどは目の敵にされているが、感染防止策をしっかり実行しているカラオケスナックもある。しかしカラオケスナックのママは商売上、どんな歌い方でも「うまいうまい」とほめるので、唄が上手にはならない。
地元の団体に入るのが良いと思う。
次に俳句であるが、これがなかなか想うようには作句出来ないで悩んでいる。
毎日十句を作り句帳に清書している。
歳時記をめくる楽しみをおぼえると、言葉の巾が広くなってうれしいものである。
「暑い」と言う言葉も「薄暑」、「極暑」、「炎暑」、「溽暑」、「残暑」と移り変わる。言葉を覚える事は認知症予防にもなり、うれしい作業である。苦労して作った句を師に認められるうれしさは格別である。
団体に加入して友人先輩も出来て句会の回数も増えて日々が充実してきている。
五七五に老後を託してみてはいかがだろう。
違う自分が見えてくるはずである。
〔佳作〕運動部門
歩く
宇都宮市 榎 マス様(92歳)
令和2年1月で92歳になった。
朝、目が覚めて東向きの窓を開ける。明るく温かい太陽の日差しを浴びると、あゝ今日も無事に朝を迎えられたと感じる毎日である。
カレンダーで今日の日付けを確認して一日のスケジュールを考える。
現在所属している宇都宮市上田原町の太陽ヶ丘老人クラブさつき会の一週間のプログラムで活動予定を確かめる。
日曜日と水曜日が晴天ならばグラウンドゴルフ、雨天ならば公民館で輪投げ、第一と第三火曜日は100歳体操、第二火曜日はいきいき体操と脳トレーニング、火曜日の午後はカラオケ、金曜日の午後は麻雀を教わりながら一週間を楽しむ。主に運動に重点を置いたプログラムである。
さつき会の活動に参加しているのは男女合わせて15名前後である。
活動に参加すると宇都宮市社会福祉協議会高齢者等地域活動支援ポイントのチケットを毎回1枚ずついただき、年度内に50枚が溜まると各自が希望する5,000円分のQUOカードをくださる。
これらの活動は高齢者が寝たきりになって介護を受けることにならないようにとの市の推進事業のひとつである。
何の変哲もない日常を重ねて92歳までこられたが考えてみると私にも人生の節目が幾つかあった。
昭和20年8月15日の第二次世界大戦の終戦が国民に伝えられた17歳の日は東武矢板線の車掌として乗車中であった。東武矢板線は蒸気機関車で矢板駅から新高徳駅までの鉄道で昭和元年から昭和35年までの35年間走っていた。戦争で男性が出征したので女性に車掌の辞令が来たのである。
一日中揺れる蒸気機関車の中での立仕事で足と腰はしっかりと鍛えられた。
結婚して三人の男の子に恵まれた。子育ての期間中は菜園に力を注いだ。季節毎の農作物の収穫が多い時は近くの交番のお巡りさんに届けて食べてもらった楽しい想い出と共に此処でも足腰を鍛えることが出来た。
子育てから手が離れた46歳から謙昇流の民謡を習い始めてから40年稽古を続けた。肺活量が増した。
80歳の時に塩谷町から宇都宮に移り長男夫婦と同居した。
太陽ヶ丘は緩い起伏の多い地形である。自転車を止めて専ら歩くこととなった。
老人会の活動の無い日は団地の中を5,000歩位歩き、雨の日は家の中を歩く。
息子夫婦、民謡の友人、さつき会の仲間の支えに感謝しながら歩き、路傍の萩の花や紫紅色の葛の花に秋を見つけ楽しんでいる。
歩くことが私の健康維持の原点である。
〔佳作〕暮らし部門
私の一日
那須塩原市 角田 尚德様(88歳)
私の一日は、洗面時に白湯を三口飲むことから始まります。これは胃袋を目覚めさせ、朝食をおいしくいただくことができ、一日を快適に過ごせると考えたからです。
朝食前に新聞受けから新聞を持って来ますが、その時、家庭菜園と庭の様子を見て今日の生活を決めています。
季節や天候などによりますが、午前の家庭菜園については除草・耕作・種蒔き・収穫などを、庭については除草・小枝切り・後始末などを計画してやります。午後は日によって妻の買物で車の運転と荷物を運びます。妻の夕食の準備前には、六曲を二組用意したテープで、一日交代で歌を唄います。
雨の日などには、趣味の囲碁の研究や俳句の本を読んだりテレビも見ます。
夕食後にはインターネットで、囲碁の対局を三番やります。一日一句俳句を作っているので記録をします。今日の出来事を日記に書きます。
家庭菜園や庭の仕事でも体は使いますが、これからが体力維持・健康維持の時間になります。
初めに体力維持のために、駆け足足踏み一千回と体内脂肪を減らすために、両腕を上に上げて背伸びの姿勢で、二分間続けます。
少し休んでから、妻と「きよしのソーラン節体操」をします。続いて、那須塩原市地域支援係から配布された「筋肉トレーニング」と「いきいき百歳タオル体操」を一日交代でやります。この後安眠が出来ると聞いて、耳下のマッサージをします。
風呂上がりには、体重計で十項目の測定をします。この中から私の健康維持の課題を二項目選びました。
一つは皮下脂肪が、普通値は9.5とされていますが、私の場合は16.0前後なのです。これを普通値まで落すために、前述の体操をしています。
二つには現在私は88歳ですが、体内年齢の測定値は、日によって変わりますが、74歳前後となっています。これは維持して行きたいことなので、前述の体操を続けているのです。
体は使い過ぎても、使わなくても健康は保てないと考えています。適度な運動をすることによって、健康長寿は果たせるものだと諸先輩は、テレビや新聞で教えてくれているのです。
私は、更に加えたいことがあります。それは何等かの趣味を持つことです。出来れば室内で出来るものと室外で出来るものがあれば理想だと思っています。これによって明日への希望が湧いてくるのではないでしょうか。
以上が私が毎日実践して、充実した生活をしたいと思っている事柄です。
〔佳作〕運動部門
ウォーキングで体と心も健康
那須烏山市 碓氷 正和様(77歳)
40代後半、原因がはっきりしない病気で悩み、医師の勧めもあり始めたのがウォーキングである。現職中は働き盛りでもあったので夢中で一日10kmも20kmも黙々と歩いた。
歩き始めは「健康イコール歩いた距離」と考え、歩くことだけに専念した。それは生きるためであり健康を取り戻すためで、一日10kmや20kmを歩くことは苦にならなかった。
最近は喜寿を過ぎたこともあり無理せずに、それでも毎日6kmから10kmは歩いている。
健康づくりといって毎日10km・20km歩いて来たがあまり長い距離を歩く必要ない。5~6kmで十分である。要はいかに体脂肪を燃焼させ発汗作用と共にいかに免疫力をアップさせるかである。そのためにまずは水分を十分に補給する。糖分の多いドリンクでなくできればミネラル分を含む蜂蜜とナトリウムのある岩塩を混ぜて自作の飲料水を飲んでいるが、みなさんにも自作の飲料水をお勧めする。歩くことにより第2の心臓といわれる脹脛を動かし血液が活性化するからである。
毎日歩いている私の場合2~3日休むと、身体が歩くことを要求する。食事と同じように基本的には身体も毎日動かす仕組みができているのでできることなら少しでも良いから毎日歩くようにすることである。
一番大切なことは正しい姿勢で歩くこと。
歩き方によって歩行効果がより高まるからである。更に、忘れてならないのは歩き出す前と歩き終わってからのストレッチ。特に歳を取ってくると身体が硬くなって怪我などがしやすくなってしまう。それだけに無理をしないで適切にからだを解してから歩き始めること、歩き終わってから少しでも疲れを取り、疲れを残さないことである。
最後に忘れてならないのは靴である。歩くとなると毎日お世話になる。購入時に十分基礎知識を得て買い求めること。例えば、足のサイズは午前と午後とでは違うので一番浮腫みの多い午後に買い求めるようにする、きちんと歩くのであるからチャック無しで靴紐をしっかり締められる靴が良い、靴底は薄いのより厚くてしっかりしたものが良いなどウォーキングに適したものを選ぶことである。
30年もの間、ウォーキングに励み健康になった。身体が健康になれば心も健やかになり、年をとっても充実した生活ができる。
この経験を十分に活かし、これから自身の健康維持はもちろんのこと、地域の仲間にウォーキングの素晴らしさを伝えて行きたい。
〔佳作〕運動部門
プールは私の健康パートナー
さくら市 菊地 良子様(76歳)
私の股関節が痛み出したのは、50歳を迎えた頃の事だったと思います。
元々私は体を動かすのが大好きで、地区のバレーボールなどにも積極的に参加していました。水泳も得意で、子どもの頃は学校の授業でもいつも級友達に競り勝っていたように記憶しています。私の得意の泳法は平泳ぎでした。
子どもを授かるのは早い方ではありませんでしたが、二人の女の子に恵まれ、体を動かすのが好きな子に育っていきました。夏の家族の恒例行事では、毎年海水浴に泊りででかけました。大抵海水浴場には、遊泳区間を区切るためのブイが海に浮かんで見えます。私は子ども達と、浮き輪を使って休みながらですが、そのブイまで泳いで行くのを毎年楽しみにしていました。
子ども達もどんどん成長し、一緒に活動することは少なくなっていきました。親子ともども体を使って遊ぶことが大好きだったので、子どもから徐々に手が離れると、私自身の活動量も少しずつ減ってきていたのでしょう。
痛みを感じだしてから動けないほど痛むようになるまで、それほど長くはかからなかったように思います。痛みを少しでも和らげようと、受診した医療機関では電気治療など対症療法でしかありませんでした。藁にも縋る思いで、温泉にもよく入りに行きました。日に日に大きくなった子どもの手を借りないと、足元の悪い温泉の出入りに、危険を感じるようになりました。動き方によっては全身を貫くような「ズキンッ」と痛みが体にはしりました。痛いから動かない、動かないからどんどん筋肉は減っていく、筋肉が減ることで余計に痛みが酷くなるという悪循環でした。とうとう痛みに耐えかねて受診した病院で、自分の骨を使った股関節の手術を宣告されました。ひどい痛みに耐えかねていた私に、他の選択肢はありませんでした。手術後、長期間のリハビリを終えて退院することができましたが、手術した股関節を守るために筋肉を増やすことが必要でした。水泳は体重による負荷を軽減して筋肉のトレーニングができるので、得意だった水泳を再び始める機会となりました。脱臼の危険があるので、平泳ぎをすることはできませんでしたが、とにかく泳ぐことが大好きだった私は、水を得た魚のようにリハビリを楽しんで取り組むことができました。
私は今年喜寿を迎えます。自分の骨で手術した左の股関節が今でももってくれているのは、プールでのウォーキングなどリハビリを続けてきた成果だと実感しています。これから先も、何歳まで元気でいられるかわかりませんが、できるだけ自分のことは自分でできるよう、楽しんでプール通いを続けていきたいと思います。